平沢進・P-MODELコピーバンド大会
「COPY-MANIA 5」出演記
2001年5月3日開催
こんばんは、Internal Trottersです。 
 
 
 

電源投入


1999年、かねてより平沢進・P-MODELのコピーをしていた私は、そのコピーバンド大会「COPY-MANIA」 へ参加する意志を固めた。歌が歌えないため個人出場は無理と言うことで、歌とギターが行けるkiz氏をナンパ、快諾を得る。同日から2000年夏のライブ へ向けて準備開始。同年暮れ、ライブ用機材第一号となるTOKAI製ギターを購入。廉価版なので形は同じだがTALBOではなく、PHOTONと同じで木 製である。

*当初の目的*
壱、ネットでコピー曲を公開配布できなくなった事の穴埋め
弐、X68000を使ってライブをやる
参、タルボを振り回してデストロイ・ギターをかます
四、チープな機材(SC88+X68k内蔵音源)でどこまでやれるかを実演する
 

kiz氏は構成員を増やしたい様子であったが、

壱、MIDIデーター互換の問題(当方マイナー環境でMML入力)
弐、コミュニケーションの煩雑化
参、各人の役割の減少及び重複
四、女性を入れると惚れてしまう

という理由により遠慮いただく。私もライブ用員としてシンドラ所持の男性ドラマーだけは欲しかったが居なかった。程なくしてユニット名 「Internal Trotters」と決定。


 
 
 

NMI RESET


平沢進・P-MODEL公式トリビュート企画、「グローバル・トリビュート」 によるライバル増加を危惧しつつ、2000年春辺りまでには演奏曲も幾つか用意。しかし、ここで「COPY-MANIA 5」は同年夏にはやらないことが判明。計画が大いに狂う。半ばヤケになった私は仕方ないので2001年春の開催までに機材増強に勤しむ。演奏曲目も一新す ることになる。そして、「20世紀最後の年にその悲劇は起こった」と言わんばかりの最低の一年が終わりに近づいた頃、主催者提出用のデモテープを作成。 Win上のシェアウェアで初めてのミックスダウン。出場もまだ決まっておらず、各バンドの持ち時間なども勿論分からず、加えて個人的に精神的にメタメタ だったこともあり実質的な作業はほぼ中断。

年明け後間もなく、エントリーした8バンド全組の出場が決定。これでやっと真っ当なスタートラインに立った心境である。この時点で当初 の目的とは幾分変化した。

*目的 Ver2.00*
壱、ネットでコピー曲を公開配布できなくなった事の穴埋め
弐、X68000を使ってライブをやる
参、タルボを振り回してデストロイ・ギターをかます
四、“解凍”P-MODELのコピー(キーボード砦、オケ)
伍、ライブをする側の立場に立つ。モニタースピーカーはどう聞こえるのか検証。
 

お互い引っ越しの準備があったり、新しい機材に慣れなければ行けなかったりでなかなか作業がはかどらない。何より、「持ち時間15 分」・「事実上最大演奏曲数4曲」という基準をクリアするような良いアイデアが出てこない。どうしてもオーバーする方向に行ってしまう。

気分転換をかねて、鍵盤縦置き用スタンドを二台自作する。金が掛けられないため幾分強度不足。4月に入ってお互い新居に越してから、ギ ター貸与等顔を合わせての打ち合わせ。機材に一通り慣れ、作業効率が良い感じになってきたのは4月も後半。直前三日間はリポビタンDを飲んで半徹夜するも 詰めが甘いまま本番を迎えた。当初計画していた、鍵盤蹴り用開脚ストレッチ・各種振り・歌の練習(発声練習)等本番を想定した練習は結局何もできず。


 
 
 

こんにちは、魔!


据え置き機材〜Victory X さて、あっという間に当日を迎えた。予想以上に小さく且つ内部が迷路の如き会場に着き、落ち着く間もなくリハーサル開始。ウチらは初っぱなである。全ての 機材を一から組み上げたので酷く時間を喰い皆様にご迷惑を掛けてしまった(謝)。やはり素人である。会場で借りたULTIMATE鍵盤置きの組立方からし て、知らない。想定していたケーブルの長さもちょっと足りていないものがあった。何よりも搬入中に舞台をあまり明るくしてくれないから、機材の後面が見え ない。結線しにくいことこの上ない。ライブに懐中電灯は絶対に必要であることを痛感した。特に搬入出時間がタイトなタイバンライブに於いては。

時間を喰いすぎたこともあり、全バンドほとんどラインレベルの調整ぐらいしかさせてもらえないことになってしまった。責任重大である。 「Siebgelenk電脳室」のkmrさんは剥き出しラックに最小限の機材を大方の結線を済ませて持ち込んでいた。さすがである。うちもできればそうし たかったが、フルサイズの機材が多いのでそれは難しい。せめて8Uラック内だけでも結線しておきたかったところだが、ラックマウントできないハーフラック モジュールが三つもあるので不可能である。実際前もって家でシュミュレートしたところ、案の定運ぶ時点でハーフラック軍団は脱落・落下した。
主催者へ提出した機材配置図
ライブ前にも後にも、「家の機材全部持ってくよ」と言うと誰もが「HDR(MTR)にしなよ」、「せめてPCはノートで」と反論してきたものである。違う んだな〜。敢えて、やったのである。適度に多い機材は、打ち込みバンドがグルーヴ感を出してライブを盛り上げるために、良き材料になると言うのが持論であ る。その方が演奏者にもやる気が出る。“言い訳”としてもせめてリアルタイムにシーケンスしたい。

まぁ、裏を返せばこれ以上金銭的にライブ用機材を買うわけに行かないと言う絶対的根拠があったのだが。ただ、機材が痛むとか時間を喰う とか悪影響も身をもって痛感した。

閑話休題。少しだけだがPAシステムから大音量で自分らの演奏が流れたことに感動した。拙いオケでもガーンと流してしまえば勢いで聴け るものである。オケの詰めの甘さもバレないだろう。ころがしからの音も体験できた。意外に聞こえるものだが、いかんせんボーカルが聞こえにくい。音痴には 厳しい。

本番でもこのようにノロノロ準備してはいられないので、ラック一式は結線したまま舞台の袖に置かせてもらうことにした。自分らのリハが 終わると空き時間がかなりあった。そこで機材運搬用のバンの後部で歌の練習。ハモりがうまくいかない。腹は減っているのだが食欲がないので昼飯は中華料理 屋でモヤシ7本のみ食す。
 

やがて開場時間となった。
 
 



開始



そして本番。「今度は手早く済ませねばならない」ということを最優先事項にして準備を進める。リハの時より大幅に早く済んだとはいえ、 数分は掛かってしまった。これが入れ替え毎に7回も続くのだからお客さんも大変である。
 
 

kiz(Vocal, Guitar)

1曲目「ソーラ・レイ」。ハモりはやっぱりうまくいかない。kiz氏が良い感じにギターを弾いてくれたのが確認できた。途中でモニタ用 ヘッドフォンを外し忘れていることに気づくが、いかにも「この曲では必要だった」と言わんばかりに曲が終わるまで取らなかった。
 
 


 
 

無実のKORG


2曲目「幼形成熟BOX」で不具合が発覚。この曲でソロを取るはずのKORG MS2000が正常動作しない。MIDI誤接続である。隙を見てラック裏を見に行くも真っ暗で見えやしない。余計にテンパって歌が歌えない。ソロなし、最 後のワンコーラスのみ歌えた同曲は終了。
タッタカタッタ・・・

 
 
 

  
 
   

安定的030
 
 

なんか照明暗いなぁ

3曲目「ナーシサス次元から来た人」は、MS引き続き沈黙につきボコーダーコーラス抜き。曲の半ばで、端からは演奏が止 まったように聞こえるいかにもなマシントラブルが起きた。演奏中、引き続き真っ暗闇の中ラックの裏でMSのMIDIを修復せんとする過程において、「これ だ!」と手繰り寄せたケーブルがYAMAHA CBX-K2のものだったのである。特に横方向の安定感に欠ける“鍵盤縦置きスタンド”はものの見事に倒れた。この拍子にCBX-K2の安全回路が作動し マージがオフになりRoland JD-990へのMIDI供給がストップした。

要するにオケの要であるJDの音がノートオフされずに鳴りっぱなしになったので“演奏が止まった”様な状況となったのである。ここで、 幸い無傷だったCBX-K2のマージを再びオンにし、シーケンサーを止めてJDは無事ノートオフ。
 
 
 

無意識のMC しかし、運悪くこのときタイミングの関係でAKAI S3000XLもノートオフせず鳴りっぱなしとなった。このサンプラーはノートオフ信号を良く取りこぼすのである。まったく困ったものだ。同機は定番とさ れている人気機種だが、私に言わせると甘い部分が多々あり、今回はその一つが表面化した形だ。AKAIしっかりしろ。この暴走状態を解くには「オールノー トオフ」信号を二度ほど送信するか電源を再投入する必要がある。

後者しか道がないためそちらを決行。約16MBのサンプル群をリロードするに当たってお客さんには数分お待ちいただいた。無意識のうち に行った拙いMCと共に。「これがテクノだ」。


 
 
 
 
 
 
 

そして誰もいなくなる?
 
 

CBXお亡くなり後
 

「World Cell」に切り替わると同時に在宅オーディエンスの紹介

 

リハでも大幅に時間オーバーした我々が再び「ナーシサス〜」を頭からやるわけには行かない。結局MSが復旧しないまま最後の曲「サイ ボーグ」へ。CBX-K2はスタンド上部に破損が見られ不安定度激増のため倒したまま。事実上KAWAI K11のみをいじくるさみしいパフォーマンスとなった。途中「World Cell」に変わる部分ではruさんとの打ち合わせ通り在宅オーディエンスの名前が紗幕スクリーンに映し出され、会場沸いていた。なかなか小粋だよな。こ の後レンタカーを返すため予定通りさっさと撤収。


 
 

総括


満足のいくステージングができたとは間違っても言えないが、できる限りのことはやった。後悔はない。至らなかった点を含 め良い経験になったことは間違いない。

今回はほとんど私の好き放題やらせてもらった。ワンマン色の強いP-MODEL(特に昔)のリーダー平沢氏のプロデューサー的立場と、 ライブの仕込みを一任されることぶき光氏(福間創氏)の立場を贅沢にも同時に体験できた(身に余る仕事だったが)。相方のkiz氏は“言うことは言う藤井 ヤスチカ氏”として動いてくれて大変助かった。
 

協力いただいたとなみさん、kmrさんその他応援くださった方、主催者の方には改めて感謝します。ありがとうございました。
 
 

当日のバーチャルライブ音源はこちら

kiz 氏のレポートを読む


[BACK]
画像提供 おくぞう氏